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青汁の歴史

青汁は健康食品としてすっかり定着しました。
青汁を飲んだことがない人でも青汁という言葉を聞いたことはあるのではないでしょうか?
青汁がここまで有名になったのは、青汁の健康効果が高いからですが、青汁はその歴史の中で徐々にその質を高め種類を増やしてきました。
今回は青汁の歴史をひも解き、青汁がどのように全国に広まっていったのかをお伝えします。

1.青汁の発祥地

現在も多くの人が愛飲している青汁の発祥地、それは岡山県の倉敷です。
その地で後述する遠藤仁郎博士が野菜から青汁を作り、就任先の倉敷中央病院で青汁の普及を始めます。
1945年のことです。
その後1954年に現在でも多くの人に親しまれているケールを原料とした青汁を作り、当時栄養不足が問題になっていた小学校で児童に試飲を始めます。
その後も小学校の給食に青汁を採用するなど青汁の普及が本格的に始まり、やがて遠藤博士の著書による青汁の紹介などもあり青汁は次第に広まり始めます。

2.青汁を普及した遠藤仁郎博士

岡山から青汁を普及した遠藤仁郎博士は1900年に岡山で生まれました。
京都帝大医学部を卒業し教授職を経て倉敷中央病院に就任してからは青汁を自ら飲み、その効果を試しながら普及に努め、戦後の食糧不足、栄養不足の時代に多くの人の健康状態を改善しました。
遠藤博士が会長を務める遠藤青汁の会は、最終的に数万人の会員数を獲得しました。
海外にもその活動は広まり、青汁の効用を世界にも知らしめることになりました。
遠藤博士は晩年になっても自宅の家庭菜園で無農薬のケールを栽培して手作りの青汁を飲みながら青汁の普及活動を続け、97歳の長寿をまっとうしました。
遠藤博士の青汁の普及活動やそれを支える人々のお蔭で青汁は広まっていったのです。

3.もう一つの青汁の発祥地

遠藤博士の提唱した青汁以外にも青汁にはルーツがあります。
もう一つの青汁の発祥地、それは九州です。
元々肥沃な土壌があり、降水量や多く天候も比較的穏やかな九州地方は全国でも有数の野菜の名産地です。
その九州地方の製菓メーカーが、1980年代初めにケールを使用した青汁を九州地方限定で販売し、九州発の青汁の流れを作ります。
しかし始めは九州地方の一部の人が飲む程度の規模で販売されていました。
1990年代に入ると青汁のマズさに注目したあるテレビ局がバラエティー番組の罰ゲームの飲み物として青汁を採用、全国ネットで青汁が放送されます。
同時期に青汁のテレビCMも全国ネットで放送され「マズい!もう一杯!」というような独特のフレーズが人気を呼びました。
確かにこの頃の青汁はケール100%の苦みが強く、くさみもあるもので一般的にはマズいと認識されることが多かったようです。
しかし、青汁を飲み続けた人が健康になったり、アレルギー体質が改善する効果が次第に知れ渡り、青汁の売り上げは伸びてゆきます。
その後はメーカーの企業努力や消費者の工夫で青汁は飲みやすいものへと変わりました。
もちろん昔ながらのケール100%の青汁のファンも現在でもたくさんいますので、苦みの強いケールの青汁も今でも販売されています。
現在ではケールの青汁の他に、大麦若葉や明日葉、桑の葉やクマザサ、ゴーヤといった原料の青汁も販売されています。
それぞれ特有の成分がある場合や栄養バランスの違いがあるので、より個人の目的に合う青汁が選べるようになりました。
さらに果汁や黒糖、ハチミツが配合されておいしく味付けされた青汁も販売されています。
青汁の形状も色々なタイプが販売されています。
液体タイプの他に、粉末タイプや錠剤タイプ、冷凍タイプやゼリータイプの青汁も開発されて販売されています。
時代が進み、青汁の人気が高まると同時に消費者のニーズにより合うように青汁も進化しているのです。
青汁の進化に伴い、これからも青汁の新しい歴史は創られてゆくことでしょう。

4.日本人の食生活の改善と共に広まった青汁

なぜ青汁はここまで広まったのかというと、その背景には日本人の食生活の変化があります。
戦後の日本は深刻な食糧不足に悩んでいました。
前述した遠藤仁郎博士が普及に努めたケールの青汁は、その食糧不足から人々を救い食生活の改善を実現したのです。
その後日本が経済的に発展し、食生活が豊かになると肉食偏向の食生活や糖分や塩分の摂りすぎが問題になりました。
この偏った食生活は成人病患者を増加させ、子供まで成人病と同じ症状が発症する事態に陥りました。
この豊かな食生活ゆえに発生した偏った食生活の問題も青汁が解決してくれました。
青汁はわずかな量で植物性の栄養素を補給できます。
一例を挙げると粉末タイプの青汁スティック一袋3gほどで40gから100gの野菜に匹敵する植物性の栄養素が補給できるのです。
そのため青汁は、忙しく食生活の改善が困難な現代人の食生活の改善にも大きな力を発揮してくれるのです。
もちろん、現代でも青汁を飲む習慣がない人もいますが、青汁を飲む習慣をもつ人々の多くが食生活の改善を実感し、その健康効果を実感しています。
このように青汁は戦後の食糧不足や栄養不足の改善、現代の偏った食生活の改善と共に広まっていったのです。

5.長い歴史が青汁の健康効果を物語る

世の中には一時のブームですぐに消えてしまう健康食品や健康エクササイズが数多くあります。
しかし青汁は誕生してから半世紀以上も人々の健康を支え続けています。
この長い歴史が何よりも青汁の健康効果を物語っているといえます。
長い歴史に支えられた確かな効果が青汁にはあります。

6.海外にも広まった青汁

海外でも青汁は評判です。
遠藤青汁は海外にも広まりましたし、青汁自体は日本発の健康飲料として、海外ではグリーンジュースと呼ばれて親しまれています。
欧米人は日本人を含めたアジア人よりも腸が短く肉食に適した身体をもっていますが、植物性の栄養素ももちろん必要です。
日本発の青汁は速やかに、手軽に植物性の栄養素をバランスよく吸収できると欧米でも評判のようです。
人種を超えて青汁人気は広がりを見せています。

7.日本人の健康意識は高い

元々日本人の健康意識は高く、書店に行けば数々の健康法や健康食材のレシピ本などが販売されています。
スポーツジムやヨガなどのスタジオに通う人も多く、健康維持や美容のために多くの日本人が時間を割いています。
そんな健康への関心が高い日本人の社会だからこそ、青汁は普及されて現在の様々な種類の青汁が生まれるまでに発展したといえるます。
日本人の高い健康意識は、今後も青汁を進化させて青汁の歴史を作り続けてゆくことでしょう。

8.これからも飲まれ続ける青汁

いかがでしたでしょうか?
青汁の歴史をひも解いてゆくと、そこには不幸にして起きた食糧不足や偏った食生活といった日本人の食生活の歴史が関係していました。
日本人は元々工夫をすることが得意な民族です。
自動車や海外から渡来した料理などもそうですが、独自の感性と技術で高い品質のものに生まれ変わらせてしまいます。
青汁の原料のケールは、原産地のヨーロッパでは煮込み料理にする文化がありますが青汁として飲む習慣はありませんでした。
煮込むことで苦みが減りおいしく食べられる利点がありますが、より新鮮な栄養を摂取するために工夫され、日本では青汁が生まれたのです。
日本で生まれた青汁は、これからも飲まれるづけ、人々の健康を支えてくれることでしょう。

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